大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 昭和44年(家)2443号 審判 1969年5月09日

申立人 長沢喜好(仮名)

事件本人 尾崎富枝(仮名) 昭二五・一〇・一六生

外二名

主文

事件本人らの親権者として申立人を指定する。

理由

一  申立の実情

事件本人尾崎富枝(昭和二五年一〇月一六日生)、同尾崎敏江(昭和二八年九月七日生)、同尾崎文子(昭和三二年三月一三日生)は同人らの母亡尾崎かつ子と申立人との間に生まれた非嫡の子であるが、かつ子は昭和四三年五月二四日死亡し、申立人は昭和四四年二月四日および同月一七日事件本人らをそれぞれ認知した。

申立人は長い間事件本人らとともに同居し事件本人らの父として扶養の責任を負つてきたものであるので、申立人を事件本人らの親権者に指定する旨の審判を求める。

二  当裁判所の判断

(一)  まず、民法八三八条は未成年者に対して親権を行なうものがないときには後見が開始する旨規定するから、非嫡の子の母が死亡すればいつたん後見が開始しているとみるのが文理上一応の解釈となる。しかしながら、わが国における未成年者の身分上ならびに財産上の監護の制度としては親権と後見の二本建てとなつているが、親権者と後見人とでは未成年者に対する愛情や監護の密度において差異のあることを当然の前提とし、国家が後見的にこれに干渉する態様を異にしている。すなわち、親権の行使については家庭裁判所が申立なくしてこれを監督し干渉することがないのに拘らず、後見人については家庭裁判所において後見人の職務執行を監督し、場合によつては職権で後見人を解任することもでき、その上申立により後見監督人の選任もできるとされている。このようにわが制度上、親権と後見とはやや性質の異なるものとして定められているばかりでなく、さらに、この二つの制度の関係において、わが民法は未成年者の監護について親権を後見に優先させ、後見を親権の補充的な制度として定めている。

親権後見に関する上記制度の趣旨に照すときは、親権者が存在するときのみならず、親権者たるべきもの、つまり潜在的に親権者となる資格のあるものが存在するときにおいても、親権を後見に優先させて然るべきものと解せられる。

然るときは非嫡の子の母の死亡後、父の認知により父が新たに親権者たるべき地位をもつに至つたときは、父を親権者として指定することができると解すべきである。

(二)  もつとも、上記の考え方については親権者たるべきものを後見人に選任すれば法的には未成年者の監護に欠くるところがないではないかとの反論も考えられる。しかし、親権と後見とは国家の後見的役割に差異のあることは上記のとおりであるばかりでなく、事実上の父が後見人として子の監護にあたるよりも、親権者として監護することの方が、わが国一般の国民感情にもあうということを考えると、この場合には親権者たるべきものを優先させるのが妥当と考えられる。

(三)  つぎに、手続的な問題について考えると、本件は非嫡の子の母が既に死亡し、現に父母の協議ができない状態ではあるけれども、母行方不明の場合と同様協議し得べかりし場合にあたるから、民法八一九条四項五項を準用し、なし得べかりし協議にかわる審判により父を親権者に指定することが許されると解される。もつとも、本件において母の死亡後の認知であり、法的には父母間に協議の成立し得ない関係にあつたといえるけれども、実質的には子の監護について父母間の協議はなされ、母は父に事件本人らの監護を託していたものと認められる事案であつて、法的な協議の成立を擬制して少しもさしつかえないものであり、かつ、申立人は審判によつて初めて親権者と定められるのであるから、親権指定の審判によるべきものと解される。

(四)  さらに本件にあつては、後見人の選任がまだ行われず、未成年者の監護教育についての責任者が浮動、未確定の状態にあり、申立人が事実上の父として事実上の責任を果しているものであつて、申立人を事件本人らの親権者とすることによつて事件本人らの監護の責任が確定しこそすれ、何らの法的な支障を生じ得ない。

以上の理由によつて、非嫡の子の母の死亡後、認知をした父を親権者に指定することができると解するものであり、かつ、本件においては申立人を事件本人らの親権者として事件本人らの監護教育に当らせるのが相当であると判断する次第である。

よつて、本件申立を認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田愛子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例